真実の自分と

君を救えるものは 君の たましいだけ

舞台「ダディ」の感想を書き殴る

 

新大久保にある劇場、東京グローブ座に私が来るのは一体何回目なのだろう。

 

ジャニオタなら割と良く来る劇場だと思う。私は方向音痴な方の人間だけどグローブ座は目を瞑っててもたどり着けるくらい良く来ていると思う。絶対人にぶつかるか、車に轢かれるんでそんなことしないけど…。

そんなジャニオタ御用達劇場に今回の主演、中山優馬さんは初めて立つ。そんなことあるんだ笑

中山優馬主演舞台「ダディ」脚本はジェレミー・O・ハリス、演出は小川絵梨子、情報解禁だけで嬉しくなった。これは絶対に当たりの作品だ!!!

ということで勇んで見に行ってきましたの感想を書きます!!!!ネタバレもする!!!

っていうか今回題材が難しいんですよ。現代劇ですけど翻訳物だし日本初演なのでネットで事前勉強しようとしても英語の記事しか出てこないので…。なのでこれはまだ舞台本編を2回見ただけの感想です。記憶が鮮明なうちに覚書を残しておきたいという趣旨のものです。ほぼ自分用。

 

簡単なあらすじ

若いアフリカ系アメリカ人のアーティストであるフランクリン(中山優馬)はLAに住むセレブの初老アートコレクターのアンドレ大場泰正)と出会い、二人は関係を深めていく。フランクリンの友人で駆け出しの俳優マックス(原嘉孝)とインフルエンサーのベラミー(前島亜美)や、フランクリンの才能を見出すアートディーラーのアレッシア(長野里美)は二人の関係に関して黙認しているが、敬虔なクリスチャンであるフランクリンの母親ゾラ(神野三鈴)は…。

 

まず事前に設定だけは頭に入れておいて欲しいのですが、フランクリンとゾラは黒人で、それ以外は白人であること。また、登場人物に男性3人おりますが、3人ともがゲイです。ゾラはクリスチャンで、同性愛者に良い感情は持っていない人物であること。フランクリンは片親で母親のゾラに育てられたこと(父親の不在)。これは私たち日本人にとっては意識的に頭に入れておかないといけない設定であると思います。例えば国籍だったり宗教だったりスキンカラー、性的趣向、家庭環境、ある程度『生まれ持って決まっている事』がこの作品の登場人物達の心を理解するのには必要になってくると感じたからです。

また、『ダディ』の脚本家のジェレミーも黒人で同性愛者という主人公フランクリンと同じ立場からこの作品を生み出していることが、外国人(日本人)では感覚的に分からない「黒人で生まれた」から感じることみたいなものも…そんな風に思うのか…って衝撃を受けるというか…。

 

さて、まず私の初見での感想はこうです「いちいち顔が良すぎる」「水に濡れても絵になる人間しか舞台上にいねぇ」「分かってたけど推しが同性とのラブシーンあるの心臓に良くない」

はい、もうこんなもんよ初見なんて。視覚から得る情報の洪水と美にしか意識がいかないんですよ!!冒頭からフランクリン水着だしその剥き出しの脚に頬擦りするアンドレ見せられて冷静でいろってのが無理な話だよ。自分が興奮してんのか引いてんのか自分でも分かんなかったわ…(自分ではLGBTQに偏見持ってないつもりでいたけど、実際に目の前で同性同士での駆け引きを見たことなんて無いから、フラットに見つめることは出来ませんでした。難しいね他者理解ってね)

とにかく刺激的というか、そういう場面やセリフも多いし、初回は免疫が無いとそっちに意識が行きすぎてしまうところがあると感じました。2回目には慣れてストーリーに集中出来てた気がしましたが。

 

アンドレとキャッキャと戯れてるフランクリンの目というか表情というか、そういうのがリアルで…性的に触れられることに戸惑いを感じつつも楽しんでる、年下の男の子っぽいような、女の子のような、どちらにも見えてくるというか。フランクリン自身も劇中で言ってましたが‘どれくらい許せるかでゲイのレベルも違う‘みたいな事も実際界隈ではあるんでしょうね、どんなセックスを経験してるかでマウント取る、みたいな…あるんだろうな…。

 

フランクリンはその戯れの中から無意識的にアンドレのことを「ダディ」と呼んでしまうんですが、この戯れもすごい視覚的に食らうので冷静に見られないんだよな…笑

フランクリンのお尻を叩きながら「はい先生」と答えなさい!と言ってくるアンドレ、ヒュー正直言ってキモいよ〜という気持ちもあるのよ。(私はこの場面は同性だからという意味合いでなく、おじさんが若い子を捕まえて…という気持ちの悪さを感じています)

でも「君は私に先生になってほしいの?」「君はダディが欲しかったの?」という無邪気なアンドレの愛情は、疑う余地の無いものではあると思うんですよ。“影のシンガー“という会話劇の中で語りきれない登場人物の気持ちを歌って補強する役が登場するんですが(めちゃくちゃ歌が上手くて最高だった)ここでジョージ・マイケルの『Father Figure』が歌われて、“君の父親に 父親がわりに 君が望むなら何者にもなる“と繰り返し歌われるのが、フランクリンはそう望んでいるのかよく分からないけど、アンドレはなんかハッキリしてんな…って感じました。年の功かなぁ…。

 

フランクリンは優馬くんの見た目から得るアンニュイな雰囲気と、その考え方、無邪気さ、アメリカの少年っぽいかわいらしさと、壮年の恋人から急速に得ていく性的刺激とか金銭感覚とかで突然成熟してしまう感じというか、元々アーティストだしその辺の感覚も鋭いんでしょうね。アンバランスな魅力と美貌が光っていて、彼が色んな人に愛されている事への説得力も強く感じました。素晴らしく美しかったな…。

 

恋人って書きましたけど、フランクリンとアンドレの関係性を表す言葉って的確なものが無いような気がしてて難しいですね。アンドレとフランクリンの会話の中で『アート』をどういう見方をしているのか議論する場面があったんですけど、ここにふたりの価値観が現れてる気がしました。

『美はとにかく美なんだよ』とそのアートが美しいかどうかがまずあって、そこから意味とか感情とか付加されていくんだっていう見方のアンドレと、その捉え方では一回そのアートの訴えとか伝えたいことを無視していることになる!と反論するフランクリン、っていう感じだったんですけどこれがまんま二人の人間性と恋愛観を指し示してんだなぁって2回目見た時にハッとしましたね。一部屋バスキアだけ飾ってるアンドレとそれを「センスが良くない、成金みたいで」とキッパリ思ったことを脳直で言ってしまうフランクリン…笑

フランクリンが美しいから興味を持って、そこから話していくうちに面白い子だな、手に入れたいなと段階を踏んでいくアンドレ。めっちゃわかりやす〜となった。私が1番共感しやすかったのはアンドレかベラミーだなって感覚でした。

 

ベラミーもパパ活みたいなことして年の離れた恋人がいる、というようなことをマックスが話すんですが、これがただのパパ活なのか、単に歳の離れた恋人がいるのか、そこはどう受け取るかは観客に委ねられたのでしょうかね…?でもここでベラミーの話した「相手が自分に価値があるって認めてくれてるのがわかるの。それがうれしい」という話が私は大好きで、相手が自分の話をちゃんと聞いてくれて、まぁ分かってないんだけど『分かろうとしてくれている』んだよと。私のために手紙も書いて渡してくれた、これを用意する時間は私のためだけに使われたんだ。って話すベラミー…わかる、わかるよ…君の気持ち…(WaT)またこの話を受けてフランクリンのアートも理解しやすくなる効果もあるっていう。マジで脚本が出来すぎている…。

私はかなりベラミーに共感できる感じがありましたが、これも人によって感じ方が変わってくるところと思ったのでみんな感想を書く時誰に共感したかも教えてほしい。

 

友人2人のスタンスの違いも面白い対比になっていたと思います。

ベラミーはインフルエンサーで、コメントとかで死ね、とか書かれてもそんなの一部だけだから「すごい反応されてる!」って捉えられる人。良い意味で鈍感で上手く付き合っていけるように自己解釈して前向きになっていける人なんだなぁと感じました。だからフランクリンとアンドレの関係も「幸せならいいんじゃない?」と深く考えてないし無関心的ですらある。

対してマックスはというと、金持ちのアンドレに囲われてるみたいな状況のフランクリンに過剰なほど意見してきます。「良い関係とは思えないな」「そいつ(アンドレ)に何のメリットがあんの?」みたいに世間的な目から見てフランクリンを心配していて、でもめちゃくちゃ余計なことまで言ってしまう…(まぁそれはマックスもフランクリンのことを実は好きだからという感情的な部分が作用しているんですけど…)

 

フランクリンも友人達には自慢するようにアンドレとのことを話していたのに、フランクリンの才能を買ってくれているディーラーのアレッシアには、ビジネスの相手ということもあってそんなに堂々と話せないというか、世間体を気にし出すんですよね。アンドレのお家にアトリエを構えて、彼の援助を受けて作品を作ったし、それはアレッシアも気付いているから話さないわけにはいかないし、結果話しても「パトロンがいることは恥じることじゃないのよ〜」とキッパリされてるし。笑

フランクリンもゲイである事を恥じている訳では無いんですが、やっぱり誰にでも堂々としていられるわけじゃ無いんですよね。彼の思うほど世間はゲイに否定的なのか、そうじゃ無いのか、登場人物は少ないながらもそれぞれに意見が全く違う方向性なのがリアルな切り取りで、作家の力が凄まじいわ…。

 

で、ここまではそんなに2人の関係に否定的な人ってあんまりいないんですよ。強いて言えばマックスだけどマックスはゲイに否定的なんじゃなくて、パトロンって世間に堂々と言えんの?みたいなあくまで社会的に事を見ているだけで自分自身もゲイだし。

ここで2人の関係に水を差してくるのがフランクリンの母親ゾラなんですよね。

ゾラはフランクリンを本当に愛してるんですよ。だから2人の関係が正しいかどうか、息子が拐かされてるんじゃないか、心配しているんですけど…。この心配の仕方がね、母親〜〜〜って感じの話の通じなさ、パワフルさ、もう身に覚えがありすぎ…リアル…。

私も母親にこんなふうに話聞いてもらえないことある。一方的に叱られることある、そしてその叱ってる内容も絶妙に筋が通ってるからぐうの音も出ないことある。結果自分の意見を引っ込めて諦めるしかない時ある。身に覚えがありすぎる…「俺のかぁさん」の具現化みたいな人でしたゾラ…。

優馬くんの次によくプールに入る演出があったのが神野さんだったように思うんですが、なんか人って水に濡れてると迫力が増すんですかね…いや純粋に神野さんに迫力がある、もかなりあるんですけど、とにかくゾラのキャラクターも相まって1番印象の強い人物でした。役者さんの力も当然あるけどとにかく相乗効果ですごかったな…。

 

フランクリンはアンドレと出会ったことで生活も豊かになって自分のアート作品も質も内容も上がってきて(アレッシアに評価され個展も好評だった)良いことだらけ、のはずなんですけどゾラがやって来たことで何か、上手くいかないんですよね。個展の出来をアレッシアが褒めてくれてもゾラは冷ややかで、フランクリン本人にも「あのブラックベビーは何なの?」と否定的。(アート作品として人形を作っていて黒人の男の子を白人の父親が抱きしめているという展示内容)でもこれもフランクリンの語ったアート性「父親に僕のことを見てほしいってこの子達は思ってる。ちゃんとしろって叱られるから綺麗な服を着て、僕のことを見てほしいって主張してる」という風に話していたことを観客は理解してるんですけど、ゾラはオモチャ屋さんに並べられたブラックベビーの人形を可愛いと思ったことないんですよね…自分の経験則として。白人しか買わないもの、黒人はあれを醜いと思ってるって言うんですけど。くぅ…そうだよね…。「かわいい」って愛玩は一歩間違うと馬鹿にしているようになってしまうというか、相手を下に見ているような目線があることは事実と言えると思います。

 

ゾラはでも母親なので、フランクリンのやる事を否定してもフランクリン自身を否定はしていないんですよ。かわいい自分の息子で、神様に愛されてる子なんだと。もし何かが『間違っている』ならそれはフランクリンを惑わす何か悪いものがここにあるからだと、そう思っているんですよね。『悪いもの』とは?っていうのが、まぁ、アンドレだよね…っていう。

 

短絡的、ともとれますけど。母親だったら、自分の息子が歳の離れた得体の知れない金持ちの男となんか付き合ってるっぽいし一緒に生活してる、というのはショックは受けるかなぁって気持ちにはなりましたね。あとフランクリンもゾラからの電話に出ないし。笑

私自身に子供がいないのでそう思うだけなんですけど、ゾラの言う「フランクリンは私の子供よ、私のものなの」という主張には気持ち悪さを感じてしまうんですが、やっぱり自分の体から血を分けて生まれてきた生命、という感覚が所有権を持ち得てしまうものなのかなぁ…?

 

ダディのポスターに「あなたは僕のもの」という一文があるのですが、これは一体誰の言葉として受け取ればいいんでしょうね…?アンドレもゾラもフランクリンは自分のものだ、というようなことを度々口にして取り合っていくんですが、私としてはフランクリンはフランクリンでしかねぇんだよ〜!!誰かに所有権を主張されようが〜!!と思うんですけども。

大岡裁きみたいなことになるんだよな後々…と思うと辛くなってくるな…。

 

『ダディ』のテーマは何なのか?を私の解釈で話すとすると、たくさんありすぎて難しいんですが、“他者とのつながりと愛“なのかなぁ…と思いました。

ラストシーンで何が起きていたのか、まだ自分の中で文章化することが出来ないので上手く説明ができないと思うんですが、一応今思っていることを書いておきます。

ジェレミー本人がそう描くのだからそうなのだろうな、と受け取るしか無いのですが、「黒人の父親がどうして子供が産まれた途端に逃げ出すのか、生まれてきたその子の黒い肌の色に絶望を見るからよ」というゾラの言葉が本当にカルチャーショックを受けました。

あぁ、きっとこの子も俺と同じように苦しい、辛い思いをするのだろう、とそんな風に黒人の父親は世界からの差別を感じてしまうのだとしたら、なんて悲しいんだろう…。

フランクリンの父親がゾラとフランクリンを訪ねてきた時「この醜い最低の黒人野郎」とひどい言葉で追い返したゾラは父親とはもう他人だから言えたんだろうけど、それを聞いていたフランクリンは「醜い最低の黒人」から自分は生まれたんだという気持ちになった。自分に向けて言われたようにも感じた。“家族”というつながりの難しさ、強固さ、絶望感。

 

「君が望むなら何者にもなる」「命果てるまで君を愛す」と歌っていたアンドレも、結局フランクリンの父親になれる訳では無いと、フランクリンの心の穴は埋められないんだと突きつけられて。

 

フランクリンの心が埋められないことは、多分、フランクリンの欠損ではないと、私は思うのですが(だってそれって誰も悪くない。穴ができてしまった事は必然的だったとしか思えないし、父親の不在を埋めるためにはまるピースであるはずのその父親本人を拒否しているのだから他の何かによって埋められるかどうかはフランクリン本人にだって分からないと思った)

フランクリン本人に何も作為的な悪なんて無いのに、望むように愛されない。

愛してくれる人はいるのに、君の望むように自分はなれない、と離れていってしまう。

優馬くんがゲネプロで記者さんに話した「求めている愛はどこにあるのか」というのはこの結末に対しての事だったのかなぁ…。

 

うーーーんやっぱりまとめるのが難しい、もっと書かなきゃいけないことがある感じがするんですが、言語化が難しかったり、忘れてたり、理解ができてなかったり、まだまだありますね。自分の作った人形で遊んでいるフランクリンとか…白人のダディ人形のこと、もっと掘り下げて書きたいな…(今の所あれは父親という概念的な存在を自分から生み出すことが出来なくて顔が無くなったのか、父親の後ろ姿しか覚えていないから顔が無いのかどちらなんだろう、とか白人の人形だけどアンドレを示してるよりかは実際の父親を示している方が強い気がしているのですが、殴ったりしてたし)(でもアンドレはあの人形の顔が無いことが自分を“見てない”と感じたしショックだったんだよね…まだ考察中)

 

ダディはグローブ座で今月27日まで公演しています。当日券もありますしプレガでも買えます。リピチケも会場で販売してました。

是非是非足を運んでもらっていろんな方に見てほしい。

人種問題、セクシャリティ、宗教観、こう書かれると自分とはあまり関係のない世界の話みたいに見えるかもしれませんが全然そんな事はなかったです。日本人でも感じることのできる、人間の普遍的な問題や悩みがここには描かれています。とんでもなく丁寧に、リアルに。

 

小川絵梨子さんの演出で見れたことが本当にうれしかったし、また一緒にタッグ組んでほしいな。優馬くん戯曲とか翻訳物と相性いいと思ってます。難しい作品見るのも疲れるけど楽しいし、上手い役者さんに演ってもらうの本当に贅沢だし分かりやすさが段違いなんですよね。

原ちゃんとの再共演もうれしかったなぁまた一緒に舞台立ってほしいよ〜。

あとは東京楽までお預けなので、カンパニーの皆さんが健康で最後まで走り切って幕が降りますように、お祈りして待っています。